さいたま市は、2001年(平成13年)に浦和・大宮・与野の3市が合併して誕生しました。その後、2005年(平成17年)に岩槻市を編入し、現在の姿になっています。
今ではひとつの大きな都市ですが、かつて独立した自治体だったそれぞれの街には、歩んできた独自の歴史があります。1920年(大正9年)から2000年(平成12年)までの国勢調査データをもとに、旧4市の人口がどのように移り変わってきたのか、その軌跡を辿ります。
さいたま市誕生までの道のり
3市合併から政令指定都市へ
2001年(平成13年)5月1日、浦和市・大宮市・与野市がひとつになり「さいたま市」が誕生しました。合併時の人口は約103万人。埼玉県を牽引する県庁所在地の誕生でした。
その2年後の2003年(平成15年)4月1日には、全国で13番目の政令指定都市へと移行しました。このタイミングで、旧大宮市域に西区・北区・大宮区・見沼区、旧与野市域を中心に中央区、旧浦和市域に桜区・浦和区・南区・緑区の計9区が設置され、行政サービスがより身近な区単位へと引き継がれました。
岩槻市の編入合併
さらに2005年(平成17年)4月1日、岩槻市がさいたま市に編入され、新たに「岩槻区」が誕生しました。これにより、現在の10区体制が完成しています。
さいたま市全体の人口推移や現在のデータについては、こちらの記事もあわせてご覧ください。

旧4市の人口推移を見てみよう
ここからは、合併直前の2000年までの人口推移を市別に詳しく見ていきましょう。
旧浦和市 県都として発展した「文教都市」
国勢調査時データ
旧浦和市は、江戸時代の宿場町から県庁所在地へと発展し、行政・教育の中枢を担ってきました。市制施行は1934年(昭和9年)2月11日です。
昼夜間人口比率は85.54%で、4市の中では最も低い数値でした(1995年(平成7年)国勢調査)。昼間人口が夜間人口を大きく下回るこの数値は、浦和市が就業・就学の場というよりも、居住の場として機能していたことを示しています。
旧浦和市の人口推移
1920年(大正9年)の人口は11,694人と、旧4市の中では大宮市に次ぐ2番目の規模でした。1935年(昭和10年)には44,328人へと急増しています。これは1932年(昭和7年)に木崎村・谷田村が浦和町に合併されたことによるものです。
戦後の1947年(昭和22年)には106,176人を数え、高度経済成長期を経て1975年(昭和50年)には331,145人へと達しました。その後も増加傾向は続き、2000年(平成12年)の国勢調査では484,845人を記録。4市の中で最大の人口規模で合併を迎えました。
旧大宮市 交通の要衝として栄えた「商業・業務都市」
国勢調査時データ
旧大宮市は、東北・北海道・秋田・山形・上越・北陸の6路線の新幹線が結節する東日本の交通の要衝です。市制施行は1940年(昭和15年)11月3日で、旧3市の中では浦和市(1934年)に次ぐ施行でした。
昼夜間人口比率は97.09%と、旧3市の中では最も高い数値です(1995年(平成7年)国勢調査)。居住者数と昼間人口がほぼ均衡しており、商業・業務機能を備えた自立した都市としての性格を持っていたことがわかります。
旧大宮市の人口推移
1920年(大正9年)の人口は19,057人と、旧4市の中では出発時点で最も多い数値でした。戦後の1947年(昭和22年)には91,378人となり、高度経済成長期にかけて急速に拡大。1960年(昭和35年)には169,996人と、浦和市(168,757人)とほぼ肩を並べる水準に達しました。
その後も両市は並走するように成長を続け、2000年(平成12年)の国勢調査では456,271人を記録。浦和市との人口差は約2万8千人で、長年にわたりほぼ拮抗した状態が続いていたことが読み取れます。
旧与野市 コンパクトで高密度な「住宅都市」
国勢調査時データ
旧与野市は、面積わずか8.29㎢という非常にコンパクトな都市です。2000年(平成12年)国勢調査時点の人口密度は10,004人/㎢と、旧4市の中で最も高い数値を示しています。
市制施行は1958年(昭和33年)7月15日と、旧4市の中では最も遅い施行です。与野の歴史は古く、中世には鎌倉街道の要路にあたり市場が開かれました。江戸時代は甲州街道と奥州街道を結ぶ脇往還の宿駅として栄えた街です。1985年(昭和60年)にはJR埼京線が開通し、北与野・与野本町・南与野の3駅が設置されたことで住宅都市化がさらに進みました。
注目すべきは、1954年(昭和29年)に浦和市・大宮市などとの合併が検討されながらも、それを回避して単独市制を選択したという経緯です。面積の小ささゆえに合併圧力を受けながらも独自の道を歩み、2001年の合併まで市としての独立を保ち続けました。
旧与野市の人口推移
1920年(大正9年)の人口は6,495人でした。1985年(昭和60年)にはいったん71,597人へと減少を見せますが、これは市域の変化ではなく実勢の変動とみられます。2000年(平成12年)には82,937人に達しています。面積の制約から絶対数は旧浦和市・旧大宮市を大きく下回りますが、密度の高い都市形成が進んでいたことがわかります。
旧岩槻市 伝統が息づく「城下町・人形の町」
国勢調査時データ
旧岩槻市は、都心から約30km、さいたま市の南東部に位置する都市です。東西に約4.9km、南北に約14.8kmと細長い形をしており、市制施行は1954年(昭和29年)7月1日です。
岩槻の歴史は15世紀にさかのぼります。岩槻城の築城を機に街が形成され、江戸時代には日光御成道の宿場町として、また元荒川・綾瀬川の舟運を支える河岸として発展しました。現在も岩槻城址公園には当時の土塁が残っており、1720年(享保5年)に鋳造された「時の鐘」が今も1日3回(6時・正午・18時)鳴り響いています。
岩槻といえば人形の町として全国的に知られています。岩槻で作られる衣裳着人形「岩槻人形」と木目込人形「江戸木目込人形」は、いずれも国の伝統的工芸品に指定されています。岩槻台地の鉄分を含んだ水が顔の発色に良いとされること、箪笥作りから出る桐粉が材料として入手しやすかったことなど、地理的条件が人形産業の発展を後押ししたとされています。
旧岩槻市の人口推移
1920年(大正9年)の人口は6,639人でした。1947年(昭和22年)の国勢調査データは不詳のため欠損しています。1950年(昭和25年)には13,011人でしたが、1955年(昭和30年)には34,977人と急増しています。これは1954年(昭和29年)に岩槻町・川通村・柏崎村・和土村・新和村・慈恩寺村・河合村の1町6村が合併して岩槻市が誕生したことによるものです。
その後も増加を続け、1985年(昭和60年)には100,903人を超えました。2000年(平成12年)の国勢調査では109,247人を記録しています。
2000年国勢調査で見る旧4市の比較
| 市名 | 人口(人) | 面積(km²) | 人口密度(人/km²) |
|---|---|---|---|
| 旧浦和市 | 484,845 | 70.67 | 6,861 |
| 旧大宮市 | 456,271 | 89.37 | 5,106 |
| 旧与野市 | 82,937 | 8.29 | 10,004 |
| 旧岩槻市 | 109,247 | 49.16 | 2,222 |
2000年(平成12年)国勢調査時点のデータを並べると、4市の個性の違いが浮かび上がります。
人口では浦和市が484,845人でトップ、大宮市が456,271人でほぼ拮抗しています。面積では大宮市が89.37㎢と最も広く、与野市の8.29㎢は大宮市の約10分の1以下です。
人口密度に注目すると、与野市の10,004人/㎢が突出して高く、次いで浦和市の6,861人/㎢、大宮市の5,106人/㎢、岩槻市の2,222人/㎢と続きます。与野市は面積こそ最小ですが、人口密度では4市中最高という独特の存在感を示しています。一方、さいたま市東部に位置する岩槻市の人口密度は2,222人/㎢と、4市中最も低い数値です。旧3市と比べて都心へのアクセスが限られていたことが、宅地開発の進捗に影響したとみられます。現在、地下鉄7号線(埼玉高速鉄道線)の浦和美園〜岩槻間の延伸計画が進行中であり、交通政策審議会の答申(2016年)にも「埼玉県東部と都心部とのアクセス利便性の向上を期待」と明記されています。延伸計画が動いていること自体が、現状のアクセスの課題を示しているとも言えます。
※Googleマップを見ると、岩槻区内には農地が広く残っており、旧3市と比べて市街化が限定的だったことが見て取れます(推測)。
まとめ 4つの個性がひとつに
浦和・大宮・与野・岩槻、それぞれの市が「教育」「商い」「住まい」「伝統」という異なる個性を磨き、1世紀にわたって人口を積み上げてきました。県庁所在地として行政機能を担った浦和市、交通の要衝として商業が発展した大宮市、小さな市域に高密度な住宅都市を築いた与野市、城下町と人形産業の伝統を持つ岩槻市。この4つの個性が合わさったことで、現在のさいたま市が形成されています。
合併から20年以上が経過した現在、さいたま市の人口は130万人を超え、政令指定都市の中でも存在感を高め続けています。さいたま市全体の成長の軌跡については、こちらの記事をご覧ください。

出典
さいたま市
- さいたま市統計書(令和6年版)
- 市の概要
- 市の歴史
- 3市の概要(昼夜間人口比率:平成7年国勢調査)
- 概況・市制施行日・面積・人口等(両市の紹介)
- データから見るさいたま市
- 岩槻区のみどころ
- 岩槻区の歴史
- 中央区の歴史、沿革
- 浦和市主要年表
その他
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