福岡県北九州市。九州初の政令指定都市であり、かつては福岡市以上に勢いのある九州ナンバーワンの街でした。しかし、1970年台後半に福岡市に人口で逆転されたころから一貫して人口は減り続けています。この記事ではそんな北九州市成立前の5つの市、門司・小倉・若松・八幡・戸畑の人口推移に焦点を当てていきます。
1920年(大正9年)から合併直前の1962年(昭和37年)までのデータをもとに、旧5市の人口がどのように移り変わってきたのかチャートで確認していきしょう。
北九州市の今—60年ぶりの転入超過
誕生から60年、人口減少との闘い
1963年(昭和38年)の合併時、北九州市の人口は100万人を超えていました。しかしその後は転出超過が続きピークの1980年(昭和55年)に1,065,078人を記録した後、人口は減少の一途を辿ってきました。
2024年、転入超過へ
2024年(令和6年)の社会動態はプラス492人。1965年(昭和40年)以降59年間続いてきた転出超過についに終止符が打たれ、1964年(昭和39年)以来60年ぶりの転入超過となりました。要因のひとつは20代・30代の若者層の動向改善、もうひとつは子育て世帯(14歳以下の子どものいる世帯)が転入超過へ転じたことです。
一方、転入超過を達成したものの出生数が死亡数を下回る自然減が続いているため総人口の減少は続いています。令和6年(2024年)の自然増減はマイナス7,927人、令和7年(2025年)はマイナス8,077人です。令和7年(2025年)9月1日現在の人口は900,494人で90万人を割り込む可能性があると各種メディアでも報道されています。
長期にわたる転出超過を経て、いま北九州市は変化の兆しを見せています。この転換を生んだ都市の底力はどこから来るのか——それを知るために、合併前の旧5市の歩みを振り返ってみましょう。
5市対等合併という選択
1963年(昭和38年)2月10日、門司・小倉・若松・八幡・戸畑の5市が対等合併し北九州市が発足しました。合併直前の1962年(昭和37年)の推計人口(10月1日現在)は1,022,613人、世帯数は250,794世帯。九州初の政令指定都市として発足と同時に政令市の指定を受けています。
合併後の1974年(昭和49年)には小倉が小倉北区・小倉南区に、八幡が八幡東区・八幡西区に分かれ、戸畑・若松・門司を加えた現在の7区体制が完成しています。
旧5市の人口推移を見てみよう
| 年次 | 旧門司市 | 旧小倉市 | 旧若松市 | 旧八幡市 | 旧戸畑市 |
|---|
1920年(大正9年)から1962年(昭和37年)にかけての人口推移を見ると、旧5市がそれぞれ異なるペースで成長してきたことがわかります。ここからは各市の歩みを個別に見ていきましょう。
旧門司市—関門海峡の玄関口
門司区は三方を海に囲まれ関門海峡を隔てた対岸の下関市とは最も狭い場所でわずか680mほどで向き合っています。明治から昭和初期にかけて大陸・朝鮮半島への玄関口として貿易・海運で栄えた港湾都市です。
旧門司市の人口推移
1920年(大正9年)の人口は72,111人で、旧5市の中では八幡市(100,235人)に次ぐ2番目の規模でした。昭和初期にかけて拡大し1940年(昭和15年)には138,997人に達しました。
しかし戦後の1950年(昭和25年)には124,399人へと減少しています。その後は再び増加に転じ1960年(昭和35年)には152,081人、合併直前の1962年(昭和37年)の推計人口は155,116人を記録しました。旧5市の中で最も少ない人口での合併となっています。
旧小倉市—九州五街道の起点、城下町から商都へ
小倉北区の公式ページによれば、小倉はかつて「九州の道は小倉に通じる」と言われた陸上交通の要衝でした。中津街道や長崎街道をはじめ九州五街道の起点であり、江戸時代から細川藩・小笠原藩の城下町として発展してきました。市制施行は1900年(明治33年)です。
旧小倉市の人口推移
1920年(大正9年)の人口は33,954人で、戸畑市(33,824人)と並んで旧5市の中で最も少ない規模でした。しかしその後の成長は著しく、1940年(昭和15年)には173,639人へと急増しています。
戦後も増加傾向が続き、1950年(昭和25年)には199,397人、1960年(昭和35年)には286,474人を記録。合併直前の1962年(昭和37年)の推計人口は305,423人となり、八幡市に次ぐ規模で合併を迎えました。1920年から1962年にかけての増加は約271,000人(305,423-33,954=271,469人)で、旧5市の中で最も大きい伸びを示しています。
旧若松市—日本一の石炭積出港
若松区は洞海湾と響灘に囲まれた港湾都市です。若松南海岸通りは、かつて日本一の石炭積出港として栄えた歴史を伝える近代港湾都市固有の都市空間として現在も残されています。合併前年の1962年(昭和37年)には、当時我が国初の本格的な長大吊橋として若戸大橋が開通しました。
旧若松市の人口推移
1920年(大正9年)の人口は49,336人。1925年(大正14年)には49,930人とほぼ横ばいで推移しており、1920年から1962年にかけての増加数は57,574人(106,910-49,336)で、旧5市の中で最も少ない伸びにとどまっています。1940年(昭和15年)には88,901人に達しましたが、戦後の1950年(昭和25年)には89,574人とほぼ変わらず、その後も緩やかな増加にとどまりました。
合併直前の1962年(昭和37年)の推計人口は106,910人。旧5市の中で最も少ない規模での合併となっています。
旧八幡市—鉄の街、官営八幡製鐵所が生んだ重工業都市
八幡東区の公式ページによれば、1889年(明治22年)4月、尾倉村・大蔵村・枝光村が合併して八幡村が誕生しました。1900年(明治33年)に八幡町となり、翌1901年(明治34年)2月5日、官営八幡製鐵所東田第一高炉の火入れ(操業開始)とともに全国から人が流れ込むようになり急速な発展を遂げました。1917年(大正6年)に市制施行により八幡市が誕生した際の人口は84,682人でした。
旧八幡市の人口推移
1920年(大正9年)の人口は100,235人で旧5市の中で最も多い規模でした。製鉄所の拡張とともに人口は急増し1940年(昭和15年)には261,309人に達しています。
戦後の1950年(昭和25年)には210,051人へと減少しています。しかし復興とともに再び増加に転じ、1960年(昭和35年)には332,163人、合併直前の1962年(昭和37年)の推計人口は344,893人を記録。旧5市の中で最も多い人口で合併を迎えました。
旧戸畑市—製鉄所の隣で発展した工業・住宅都市
戸畑区は北九州市のほぼ中央に位置し面積は約16.6平方キロメートルです。戸畑区の公式ページによれば明治初期までは半農半漁の静かな村でしたが、1901年(明治34年)に八幡に官営八幡製鐵所が開所して以来、鋳造・製鉄・硝子および遠洋漁業などの企業が次々と進出し急速に工業都市として発展しました。戸畑の市制施行は1924年(大正13年)です。
旧戸畑市の人口推移
1920年(大正9年)の人口は33,824人と小倉市(33,954人)とほぼ同規模の出発でした。1940年(昭和15年)には84,260人に達し、戦後の1950年(昭和25年)には87,885人とほぼ横ばいとなっています。その後は緩やかに増加し1960年(昭和35年)には108,708人、合併直前の1962年(昭和37年)の推計人口は110,271人を記録しました。
合併直前の旧5市比較
1963年(昭和38年)2月10日、門司・小倉・若松・八幡・戸畑の5市が対等合併し、九州初の政令指定都市・北九州市が発足。
合併直前の1962年(昭和37年)推計人口(10月1日現在)を並べると、旧5市の個性の違いが浮かび上がります。
人口では八幡市が344,893人で最多、小倉市が305,423人でこれに次ぎます。一方、若松市106,910人・戸畑市110,271人・門司市155,116人は10万〜15万人台での合併となりました。世帯数では八幡市の83,515世帯が最多で、若松市の25,354世帯が最少です。
合計1,022,613人・250,794世帯という規模での新市発足は、当時の日本において有数の大都市誕生でした。
まとめ—5つの個性がひとつの政令市へ
港湾・城下町・石炭・製鉄・工業と、それぞれ異なる産業基盤と歴史のもとで人口を積み上げてきた5市が、1963年(昭和38年)2月10日に対等合併し、九州初の政令指定都市・北九州市が発足しました。
合併から60年以上が経ち、人口減少という課題に直面してきた北九州市ですが、2024年(令和6年)には60年ぶりの転入超過を達成しました。旧5市が築いてきた産業・文化・歴史の厚みが、この都市の底力を支えているのかもしれません。
ところで、1935年(昭和10年)の全国人口ランキングで、現在の北九州市を構成する旧5市がどの位置にいたか気になりませんか。こちらの記事の「福岡県に10市—そして北九州市になった5市」セクションで確認できます。

出典
出典 出典:北九州市
- 北九州市統計年鑑 3-1.人口の推移
- 推計人口及び推計人口異動状況
- ふっかつの北九州市!60年ぶりの人口転入超過!
- 門司区の概要
- 小倉北区 まちの概要
- 若松区の概要
- 八幡のあゆみ
- 八幡町から八幡市へ
- 八幡西区の紹介
- 戸畑区の紹介
- 戸畑区のあゆみ
- 大都市比較統計年表(令和5年版)


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