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年齢5歳階級別男女別人口(2020年)
横浜市の人口は2020年の国勢調査で約377万人に達しました。政令指定都市の中で最大、日本の基礎自治体の中でも最大の人口を誇ります。しかし100年間の推移を見ると、関東大震災と戦災という異なる要因による2度の人口減少を経験しています。開港以来の国際都市として発展してきた横浜の人口推移を国勢調査データから読み解きます。
横浜市の人口推移(1920〜2020年)
1920年の大正9年、横浜市の人口は約42万3千人でした。その後2020年までに約377万人へと100年間で約8.9倍に増加しています。しかしこの100年間には2度の人口減少がありました。
1925年は1920年比で約1万7千人の減少(-4.03%)。関東大震災(1923年)による甚大な被害が人口流出を招きました。1947年は1940年比で約15万4千人の減少(-15.88%)。戦時中の空襲被害と疎開による人口流出が原因です。この2度の減少を経ながらも横浜市は日本最大の基礎自治体へと成長を続けました。
関東大震災と戦災、2度の人口減少を乗り越えて
横浜市は1920〜2020年の100年間で2度の人口減少を経験しています。
1923年の関東大震災では横浜市は壊滅的な被害を受け、市内の建物の約8割が倒壊・焼失したとも言われています。1925年の国勢調査では前回比4%の減少を記録しました。その後急速に復興し1930年には約53%増と大きく回復していますが、この増加には震災からの復興に加え1927年の市域拡張の影響も含まれています。
1940〜1947年の減少は太平洋戦争による空襲と疎開が原因です。横浜市は1945年5月の横浜大空襲で市街地の多くが焼失しました。しかし戦後の復興とともに人口は急増し、1950年代以降は東京圏の拡大とともに継続的な成長軌道に乗ります。
高度経済成長期の爆発的拡大
1955〜1975年の20年間は横浜市の人口が最も急増した時期で、約114万人から約262万人へとほぼ2.3倍に拡大しました。東京圏のベッドタウンとして住宅開発が進み、洋光台・港南台などの大規模団地が整備され、さらに1970年代後半には港北ニュータウンの開発も始まります。こうした成長の中で1956年には名古屋・京都・大阪・神戸とともに全国で最初に政令指定都市へ移行しました。
2015年以降は増加ペースが鈍化
2010〜2015年の増加率は0.98%、2015〜2020年は約1.4%と低水準ながらも増加を継続しています。少子化による自然減が進む一方、東京圏への人口集中の恩恵を受けて社会増が続いています。
377万人という人口規模は政令市の2位である大阪市(約275万人)を約100万人上回ります。単独の基礎自治体としては国内最大級の規模です。今後の人口動向は横浜市単独の施策だけでなく東京圏全体の人口動態に左右されます。
夜間人口は日本一、でも昼間人口では大阪市に及ばない
夜間人口(常住人口)377万人は政令市最大ですが、昼間人口では横浜市の「意外な顔」が見えてきます。2020年の国勢調査によると横浜市の昼間人口は約344万人で昼夜間人口比率は約91です。
比率が100を下回るということは昼間に約33万人が市外へ流出していることを意味します。政令市・東京特別区の中でも低い水準にあります。横浜市が大規模なベッドタウンとしての性格を持っていることを示しています。
さらに興味深いのは大阪市との比較です。夜間人口では横浜市(377万人)が大阪市(275万人)を約100万人上回りますが、昼間人口では大阪市(364万人)が横浜市(344万人)を約21万人上回ります。夜間は「日本最大」の横浜市が、昼間になると大阪市に逆転されるのです。
下のテーブルには政令指定都市と東京特別区の昼間人口・夜間人口・昼夜間人口比率をまとめました。列ヘッダーをクリックするとソートできます。
| 順位 | 自治体 | 昼間人口(人) | 夜間人口(人) | 昼夜間人口比率 |
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まとめ:夜間は日本最大、昼間は大阪に及ばない二面性を持つ都市
関東大震災と戦災を乗り越え日本最大の基礎自治体へと成長した横浜市。しかしその実態は、東京への通勤者を大量に送り出す巨大ベッドタウンという一面も持っています。夜間人口と昼間人口の乖離は、横浜市が抱える都市構造の特徴を端的に示しています。他の政令指定都市の人口推移と比べると、横浜市の特異な成長パターンがよりはっきりと見えてきます。ぜひ関連記事もあわせてご覧ください。


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